BEASTARS 私たちの物語

 

 

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出典:BEASTARS – 文化庁メディア芸術祭

 

漫画家・板垣 巴留の活躍が目覚ましい。2018年 第42回講談社漫画賞少年部門、第22回手塚治虫文化賞新生賞、第11回マンガ大賞、大賞。他にも受賞多数で、若手としては異例の快進撃で爆走していると言って差し支えないのではないだろうか。

 

だが、その実力は伊達ではないと思う。私も「今年、去年あたりであなたが一番面白かった漫画は何ですか?」と聞かれたときに、真っ先に『BEASTARS』の名前を挙げられるくらいには好きだ。また学科こそ違うとはいえ、同じ大学出身であるということがとても誇らしい。

しかも私と年が一個しか違わないというところからも、尊敬の念が天井をぶち破りつつある。本当半端ねーーっす先輩…。

 

■あらすじ 理不尽な世界に生まれて

 

 

物語の舞台は、人並みの知能を有した肉食動物と草食動物が共生する世界。全寮制、中高一貫のエリート学校・チェリートン学園で、ある日アルパカの生徒テムが正体不明の肉食獣に喰い殺されるという「食殺事件」が発生。警察の見解では学内の肉食獣が怪しいとのことで、生徒である肉食獣と草食獣の間には不穏な空気が流れる。

ハイイロオオカミの少年レゴシは、大型の肉食獣であることに加えて寡黙な性格や(不器用ゆえの)意味深な言動によって、テム殺しの犯人だと疑われてしまう。レゴシへの疑惑はすぐに晴れるも真犯人は見つからないままであり、肉食獣と草食獣の間に発生したわだかまりは学園に暗い影を落とすーーー

 

BEASTARSの世界では、一部で偏見や差別が存在するとは言え表向きは「共生」が実現しているように見える。ただ、裏では肉食獣の食肉衝動を抑えるために草食動物の身体が高値で取引され、草食獣にとって危険な風俗店の存在がある。そんな世の中で主人公のレゴシは草食動物であるウサギのハルに恋をするディズニーのズートピア(2016年)を彷彿とさせる世界観ながら、ファミリー向け作品では難しいような恋愛描写にも攻め込む姿勢が勇ましい(また異種間の交配による出産が可能とされており、10巻時点でレゴシの祖父がコモドオオトカゲであったことが判明)。

 

この感情は性欲なのか、食欲なのか。それともその両方か…。正にきむらゆういち著『あらしのよるに』(講談社 2000年)の二匹が文明社会に生きる男女だったら~という内容であると言わんばかりのシチュエーション。若干、この二匹の設定や上述の諸々に作者のモナー趣味 趣向が伺えるところではあるが、その中で真剣に生と向き合うレゴシ君の素直さ、繊細さ、そして青臭さにはどうしても応援せざるを得なくなる。

 

大型版 あらしのよるにシリーズ(1) あらしのよるに

大型版 あらしのよるにシリーズ(1) あらしのよるに

 

 

もう一人の主人公格が、アカシカルイである。ルイはかつてハルと肉体関係を結んでいた(恋仲でもあったらしい)チェリートン学園の人気生徒であった。彼はある日、食肉目的で誘拐されたハルを追って裏社会の組織のボスを銃殺、その後とやかくあってその座=ライオンヤクザの組長として居座ることとなる。「世界の仕組みを変える~」等と印象強い台詞の多さに反し、割と受動的に描写されることが多い彼の役割はある種狂言回しに近いものがある。が、特筆すべきは彼と手下のライオン・イブキとの関係性。これに関してはもう読んでください。めちゃくちゃ尊い。語彙が足らない。好き!

 

BEASTARS 7 (少年チャンピオン・コミックス)

 

■作者の画力、豊かな感受性

 

読んでいて思うのは「作者は本当に漫画がうまい人なんだなぁ」ということ。見開きのコマの使い方、穏やかな一幕にも平気で放り込まれる殺伐とした一瞬。最初は粗削りにも感じたキャラクターの稜線は徐々に整理されて、回を重ねる毎にスピード感、リズムが伴ったものにシフトしていく。

 

元映画の製作を志していた作者というのもあるだろうか。明瞭かつ迫力のある構図の連なりで「映像」として余裕で脳内変換できるパートも数多く見受けられた(アクション、印象的なキャラクターの登場場面に関しては、父親と噂される板垣恵介氏の影響を感じるところもある…?)。

 

ヒロインが、ちょっと少年誌にあるまじき性に奔放な人物像で許されているというのは擬人化ならぬ「擬獣化」の賜物だろう。賛否あるところだとは思うが、これも世界の生々しさを伝えるのに有効に作用していると言える。

 

他にも女性キャラに行動的で強烈な色を持つ個が多く、彼女らの存在によって男側だけではなく女性同士、異性間の価値の擦れ合いや衝突が生まれる様が結構スリリングに決まっている。それぞれの「性」によって動く人間関係を躊躇なく活写しているおかげで、清濁併せた学園ものならではの味わいが十二分な密度で備わっているのだ。

 

本筋以外、閑話休題的に多様性についてのストーリーが織り込まれているのもとても良い。「種別の多様な在り方」が認められている世界だとはいえ、それに対する個々の戸惑いや、種に対する誤った認識もまた数多く横行している。先述した性についての意識、上記の事実について誰も気に留めないことに苦悩するキャラクターの姿、もはや全然他人事とは思えないのが最大の魅力だ。

 

作者の板垣はそういったコミュニケーションの難しさ・そこに生まれる齟齬について常に敏感に意識してきた人なんだということが伺えるし、衝突や和解を経てほんの少し歩み寄る二種族の姿にはちょっとグッとくる。

 

※本題からはずれるが、個人的に好きなエピソードは『 BEAST COMPLEX』 (少年チャンピオン・コミックス 2018年)の一遍、「ライオンとコウモリ」。とある理由から外に出られなくなったコウモリの生徒と、自身がライオンであることに誇りを持って生きる男子生徒の邂逅。それぞれの心情が明かされた後の、静かで豊かなクライマックスが胸を打つ。

 

■命題 生きるとはなんなのか

 

犯人捜しーーーというサスペンス風に始まった当シリーズだが、途中であっけなく犯人が明かされて物語は急展開する。テコ入れか?みたいな意見も少し出回ったが、むしろ物語の方向性を考えれば全然無理のない路線に切り替わったものと思う。若く危険な思考で動く肉食獣と対峙する、レゴシという個。作品が謳う「ヒューマンドラマ」の純度は限りなく高まった。

 

レゴシは強くなるために、肉が売買される裏市を仕切るパンダの元で修業を重ねるが、その一連のシーンが少年漫画的に悉く最高である。

 

中でも人生で一番長く付き合っていかなければならない人間は他でもない自分自身であるというのを再確認させる「禁欲修行」のシーンは大好き。生き方を学ぶというのは、周囲に対しての柔軟性を得ることではなく、自身をどう律していくかということに尽きる。これが当作品の大きなテーマなのだと思う。

 

他人に過剰なまでの理解を求めてしまう人(←これは主人公像とはやや異なるが)、対人コミュニケーションの際に壁を感じてしまう人こそ自己という存在への無理解によって苦しんでいる可能性が高い。このシークエンスで主人公がもがき苦しみ、健気に自我を受け入れんとするほど思春期の成長譚としての輝きは増し、読者はこの先の楽しみ指数が急上昇していく。

 

言い忘れたが、タイトルの『BEASTARS』とは動物たちを統率する英雄的存在(各学園から1匹ずつ選出された「青獣ビースター」と、その中のトップ「壮獣ビースター」の二つに分けられる)を指す造語である。現在、この言葉が取り沙汰される場面は少ないが、おそらく物語の方向性から言って反語的な意味合いで扱われていくだろうことは想像に難くない。それともこの座にきちっと誰かが居座って終局を迎えるのか、概念のままで留まるのか…。ラストまで目が離せない。(完)