鬱、パニックと初体験 永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』

本書は作者自身の壮絶な拒食・過食体験と、「コミュニケーションへの挑戦」としてレズ風俗へ駆け込んだというエッセイ漫画である。

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

一時期よくネットで話題になっていたので読んでみたが、結構ストレートに自身の過去、失敗、性の本質が綴られていて良い意味でちょっと驚いた。

 

 

とりあえず、冒頭の内容が読めるサイトをご紹介↓↓↓

http://matogrosso.jp/privaterepo/01.html

 

◼︎シニカルで泣ける生の奮闘記

 

以下は著者についてのインタビュー。

 

――漫画を描くことで、ご自身の心に、どのような変化が生まれましたか?

永田 漫画を描く前から、自分の気持ちを思っているだけじゃなくて、文章に書き出す習慣はあったんです。文章化したり、図式化したりすると、頭の中だけで考えているよりもわかりやすいな……と思っていたので、書くようにはしていました。漫画に描いて発表するようになっても大きく変わることはなく、自分ひとりが見ているだけか、人にも見てもらえるようになったかの違いだけだと思っています。ただ、なるべくたくさんの人に読んでもらいたいので、読みやすいように、興味を持って読んでもらえるように、作画やエピソードの取捨選択など工夫しています。

 

出典

:https://www.cyzowoman.com/2016/07/post_21080_2.html

 

重く、つらい題材に対してその内容は至ってシニカル。クスッと笑える場面もある。

 

風俗嬢のお姉さんとの一幕「あれ、膜が無いぞ??」のくだりとか、あれこれを終えてから初めてのキスの味イコール〜に気づいたりするところは台詞のワードセレクト、諸々の描写含めて永田のギャグセンスの鋭利さを感じるところ。

 

それは作者が「傍から見て特異に見える事象は積極的に笑いに転じよう」としたウケ狙い精神から来るものではなく、少しでもありのままをソフトなものとして表現しよう、周りに伝えようとした変換努力の結果に見えるから非常に切実だ。そこが読み手の涙を誘う。

 

◼︎赤裸々エッセイの意味

 

こういったエッセイの存在はとても重要で、作者本人の発散という以上に“同じような悩み・苦しみを抱える”第三者が「私だけじゃないんだ」「こんな快方(?)の道があるんだ」との安心感を得られるというところにも意味がある。

 

結局、「人肌に触れた」からと言って何も変わらなかったという作者。大事なのは行為ではなくて、その過程で自ら成長することであったという知見。

 

風俗に行ったら=自分の知らなかった世界に飛び込んだら何かが変わるかも…?というのを契機に、現実の厳しさと真に対面、今後の自分の在り方へのヒントを得ました!とのアクティブな結論を目にすれば誰もが著者を応援したくなるだろう。

 

…いろいろ作者に関するインタビューを読んだが(レズビアンであるかもしれないという)彼女自身の性に対する「親の無理解」に悲しさを覚えたという一節があった。

 

だが、今後ともめげずに表現を続けていただきたい。色々と大変だろうけど、明日はきっと今日よりもう少しだけ良い日になると信じてほしい…これは一ファンのエゴになってしまうけども。

 

(おわり)