若おかみは小学生! 温泉に浸かり、映画を観る目に溜まった垢を流すような映像体験~


劇場版「若おかみは小学生!」予告編

 SNSでかねてより大いに話題になっていた本作だが、現状としては(やっと)そこにヒットが反映されてきた次第。だが、未だ上映しているところでは満席が続いていれど、館の大体が上映を畳み始めているのもまた事実。映画が流行るには時間がかかる場合もあるんだな…というのを痛感させられる一幕ではある。

 

とりあえず観て!!という支持者たちの猛プッシュはあれ、絵柄の好みやタイトルから想像される内容があまり面白くなさそう云々〜と言った理由でアニメ・映画好きには届かず、ファン内々での評価の照らし合いに始終してしまっている~故になかなかヒットに繋がらなかったというのが一番理由に近いと考える。

 

 私としても、周囲の温度感と私の感想が大きく異なるケースが劇場アニメではちょっと多い経験があるので(君の名は。』『ゼロの執行人』は面白かったけど)これも楽しめるかなぁ…という不安があった。

 

原作は講談社青い鳥文庫(←懐かしッッ!子供の頃よく読んでた)の『若おかみは小学生!花の湯温泉ストーリー』(講談社、2003年)、監督は数多くのスタジオジブリ映画の制作に作画監督や原画として参加した経歴を持つ実力者『茄子 アンダルシアの夏』(2003年)の高坂希太郎。さて本編、どんな展開が待つのか。必要最低限の情報以外は遮断して鑑賞に臨んだ。

 

■癒しの旅館・春の屋

結論から言えば、

難なく入りこんで楽しめる、ちょっとシブくて快活な作品だった。温泉に浸かって、映画を観る目に溜まった垢を涙と共に洗い流すような映像体験。個人的には好きだし、たまに観返してしんみりシーンの余韻に浸りたくなる一作でもあると思う。

 

世の中には、「仕方がないこと」で満ちている。大切な人との死別、思いがけない失恋、避けられなかった事故。人は故意にではなくとも他人を傷つけ、また傷を負ってしまうものだ。そういった世のしがらみを全て受け入れ、洗い流してしまうのが「花の湯」温泉だ。 花の湯温泉のお湯は誰も拒まない、すべてを受け入れて癒してくれる。

家族三人でのドライブ中、両親を交通事故で失った関織子通称おっこは祖母が営む春の屋旅館に住むことになるが、そこに居着く幽霊・ウリ坊の嘆願もあってこの旅館で❝若おかみ”として働くことになる。そこで彼女はもう一人の幽霊・美陽、子鬼である鈴鬼と出会い充実した日々を過ごしていく。

 おっこは両親の夢を見る。自分を優しく愛してくれる両親の夢。また、幽霊とは違ったかたちでなぜかおっこの前にもときどき現れ、生前のように振る舞う。あまりに突然父と母がこの世を去ってしまったため、その事実を受け入れられないのかもしれないな、とここで観客は悟る。

旅館に引き寄せられた、クセあるお客の数々。それぞれ問題を抱える人達に真摯な態度で向き合うおっこ。このやりとりの一連が、卓越した細やかなアニメーション表現と声優の安定の演技で魅せられていく。一見シンプルにみえ、卓越した描写が感じられる料理シーン、布団の中を進む際の得も言えぬ(あらゆる意味での)柔らかさなどはさすがにさすがの域だ。

虫やトカゲなどの動物の動き(クモの脚のワサワサ感、トカゲの腹が呼吸するたびにプクプクする様子なんて今やそう観ない表現で嬉しい)、背景を超えた鮮やかな❝風景❞、春~秋にかけての四季の画の数々には溜息が出るところだし、旅館を訪れた人々それぞれの人情劇のシブさ、秀逸さについては思い出すたび涙腺が危なくなる。

個人的に印象深かったのは小松未可子演じる神田あかね君とその父親(バナナマン設楽統が担当、染み入る良い声でした)のエピソード。彼の亡くなった母親との「食事」シーンのくだりなんて諸々の演出、小松の泣き演技の上手さにこっちが滂沱

端午の節句男子の健やかな成長を祈願する行事)鯉のぼりのシチュエーションと絡めた結末といい、異常な完成度の高さに息を飲んだ。アニメーションだから不自然に見えないレベルの「綺麗ごと」が存分に生かされている点にも技巧を感じるところであった。

ただ、本作をここまでの話題作にしたのは、やはりこの先の展開だと思う。

 

以下、ネタバレを含みます

 

■終盤・おっこの決断。

終盤には元が児童向け小説だったことを忘れさせるくらいのシビアな展開が待つ。

 

ある日、彼女は杖をついた男性・木瀬文太とその家族が旅館に訪れるのをもてなす。木瀬の家族からの依頼は「病院から指示されたような、油と塩分の少ない食事。」しかし彼は「せっかく退院したのに、病院食と同じような食事には箸を付けたくない」とつっぱねる。

この頃と時期を同じくして、成長する彼女は幽霊たちの姿が見えなくなっていく。尚、彼らとの別れの時が近いことも鈴鬼の口から告げられて、動揺を隠せない。

おっこは文太の希望に応えんと他旅館のライバルピンフこと秋野真月に助けを求め、濃い味付けを好む人が美味しいと感じるヘルシーな料理について教えを乞う。彼女から教わったレシピを持ち帰って旅館の板前に調理を依頼、結果満足してもらえるのだが…そこで男の口からとある事実が明らかになる。

彼の入院は交通事故によるものだった。大型トラックの運転中、やむない判断で対向車線に飛び出した彼は、三人家族が乗った乗用車と衝突。うち二人の命が失われてしまったと告げる。その家族のが唯一生き残ったのが、不幸中の幸いだったとも。

木瀬は、おっこの両親二人の命を奪ってしまったトラックの運転手だったのだ。

  両親の死を「実感を伴った」形で認識し、事故の当事者であると分かったお客を拒絶してしまうおっこ。幽霊達は彼女の助けになろうとするが、彼女は彼らの存在を視認できない…

 

だが、かつておっこがもてなしたお客の一人、占い師の女性がそこに現れる。彼女に励まされ、おっこは木瀬と家族を再び旅館に招き入れる決断をする。「 花の湯温泉のお湯は誰も拒まない、すべてを受け入れて癒してくれる。」と。そして自分は事故の被害者ではなく、春の屋温泉の若おかみだと口にして。

ここのくだりは本アニメーションの白眉というべき場面だった。かなり高濃度のエモーショナルで迫り、ぐいぐい観客を画面に引き込んでいく。場面展開も、彼女が失意の感情をあらわにするシーンでは暗い部屋、決断の場面では徐々に街灯の光などで背景が照らされ始め、おっこの心が決着を迎える場面では美しい紅葉が彼女を彩る〜と非常に豊かで卓越していた。

聞けばこのキャラクターと付随するストーリーは劇場版オリジナルのものであるという。健気な主人公になんて責め苦を負わすんじゃと監督に掴みかかるところだが、考えてみれば彼女にとって最大の乗り越えるべき壁は「親の死」だった。彼女は両親の命があまりに急に失われてしまったために、その事象をあまり意識できずにいた。しかし死んだ人間について思いを馳せ続けることはその人たちを永遠にこの世に留めてしまうに等しい行為だ。それは今後、健やかに前進せんとする彼女の枷となることは間違いないことだった。

前述の通り、世の中には仕方のないことなど山のようにある。それがどんなに残酷でも、直視していかないと何かに足を取られてしまうのは目に見えている。おっこは自分が一人だけ生き残ったということをはっきり認識することになったが、しかし同時に

決して自分は孤独ではないという事実を把握することは、彼女の生きる意味にも直結する必要な行為だったという結論には納得せざるを得ない。

終盤、高台の上で舞を披露するおっこ。彼女を見上げるのはもはや亡くなった両親ではなく、新しい家族とも言える旅館の人々とおっこがもてなし、彼女を支えてくれたかつてのお客さん。このシークエンスの見事さ、美しさたるや。観客の脳裏にはおっこと幽霊たちとの特別な記憶が鮮やかにフラッシュバックして涙を誘う。児童向け小説特有の軽快なテイスト引用も相まって、なんとも爽やかなラストになっていた。

■「ぜひ観て!!」が寒く聞こえない完成度

本作の最大の魅力は穏やかさと緩急にある。事件と事件を繋ぐゆる〜いタッチのギャグ(紋切り型とも言って良い)、コミカルな描写の数々も忘れがたい。この場面は未来少年コナン(1978年放送、高坂監督が高校時代夢中になった作品らしい)かなとか、この動きはDr.スランプっぽいな…といろいろ往年のアニメ作品からの引用も感じられて楽しい。

これは影響を感じるという類のものではないけど、癒すものは癒されるとのシチュエーションは塚本晋也悪夢探偵2』(2008年)にも通ずるところがあったかもしれませんね。

 

個人的には若おかみは小学生!のタイトルが出るまでの流れとその後ちょっとの演出諸々がどストライクで、その時点でうるうるしてしまっていた。光と陰、温泉街の喧騒の落ち着いた温度感。リズム良く伝えられる視覚情報とドラマの妙に、なんとアップグレードされた正攻法で魅せてくれるのだろうかという感動を覚えた。セル画に溶ける自然なCG技術も◎。

全編、計算が尽くされた美しい画で構成されているのもあり若干「ここはあと5秒長く見せてくれたらもっとエモかったかもなぁ」と思う点もあったけど、そこは正に重箱の隅の部類。鑑賞中はただただ、この映画が劇場で観られる国に生まれた自分は非常に恵まれてるなあ…とあらぬ方向に思いを馳せたりした。

最後に、ツイッターの公式アカウントで紹介された線画をば。断片だけでも細やかなキャラクターの描写が目に楽しい。

 

(おしまい)