hなhとA子の呪い~哀と欲望の稀有なラブコメ~

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独特なデザイン、そして珍妙で詩的な台詞回し。漫画『hなhとA子の呪い』はちょっと難解で稀有なラブコメディである。書店で何やらビビッドな表紙を見つけ、帯の惹句に惹かれて読めばこれが面白かった。1巻を読み終え、先の展開を期待しながら2巻を探せば「完結巻」だという。すわ打ち切りか!?…と思って不安半分で読めば、まぁまぁ気になるところはないわけではないが感じの良い決着をして終わっていた

本作は飲み込みずらい点も含めてちょっと大好きなのだが、作者である中野でいち氏の作品はこれ以降確認出来ていない。一体どうしたのだろう…もしや私が情弱である故か?と思いながらこのブログを綴る。

■ あらすじ~清純の男 針辻真の受難!!

hなhとA子の呪い(1)【特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)

hなhとA子の呪い(1)【特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)


「性欲は真実の愛にとって障害となる」との信念を持つ、ブライダル会社社長の針辻真。彼は性にまつわる全てを嫌悪していた。ある日そんな彼の前に、謎の少女・A子が現れる。
A子は「針辻にも性欲が存在するーーー」と囁き、この言葉が呪いとなって彼に突き刺さる。針辻は日常に存在するすべてのものが「エロい」か「逆にエロい」としか思えなくなるという現象に見舞われ、彼は自らの中にある醜いものを自覚して惑い乱れていく~

この漫画、まず全編に施されたデザインが面白い。柔らかい稜線からなるキュートなキャラクター達、時にぐわっと形を歪ませる人間のフォルム。現代詩的なセンスで磨き抜かれた台詞の数々に、見開きで見せられるユニーク・ショッキングな一枚絵。針辻の頑なな姿勢を崩さんと“隠語責め”を繰り返すA子の造形は悪ふざけギリギリのところで完成させられていて、物語におけるメフィストフェレスとして十分な存在感を放っている。捌ききれていないように思えるキャラも多数登場するが、ひたすら主人公達の魅力でグイグイ押し切っていく。


主要キャラクターである針辻は病的なヒステリックガイだが、彼を支える秘書・ヒロイン(性に無頓着なところから彼に評価されプロポーズを受ける)の南雲七海とその妹、の安定感が対照的で良いバランス。この関係性から生まれる笑いが面白い。


淫らなイメージは錯綜し、妄想と現実の区別がつかなくなる針辻。だがとある段階で彼、そして南雲の過去が意外にも壮絶なものと中途で明かされ、物語はその色を一変させていく。

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ラ・ラ・ランド おい!CMより面白いぞ!!系の名作

ciatr.jp

おはようございます。アベニティです。『セッション』『ラ・ラ・ランドデイミアン・チャゼルの新作がまたもや話題になっていて凄いですね。聞くところによると、戦争映画における『プライベート・ライアン』ばりの傑作!!という評も上がっているそうで。これは方法論的な話か?それとも主題の扱い的なあれで…???といろいろ考えてしまうところですが、この間後輩と『ラ・ラ・ランド』の話をしたのを思い出し、再見したくなったのでBlu-rayを再生。



ということで『ラ・ラ・ランド』。この映画、実は周りの人に聞いても「面白かった!」という意見をあまり聞かない作品。『セッション』は評価しても、ララランドはねぇ…という方が多い。この前一緒に話した後輩は『セッション』と『ラ・ラ・ランド』の類似性を指摘しながら評価していたという点で馬が合ったのだけれど、実際はしっくり来なかった!という意見の方が大半。

詳しく理由を尋ねれば、やっぱラブストーリーは~と言った個人の恋愛観のお話になるケースも多かった。偏にこれは、日本版CMのせいにあるなぁと思う。悪い方で印象に残っていてかつ一番鼻についた宣伝文句が「観たもの全てが恋に落ちる極上のミュージカル・エンターテイメント 」。まぁこういう売り出し方の方が人が観に来やすいんだとは思うけど、全く主題から離れた惹句やポスター、予告の数々には少し呆れてしまった。そういう映画じゃねえから!!少なくともこれは違うでしょ!

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内藤泰弘『血界戦線』 無二のアツさとその構造

血界戦線 魔封街結社 (ジャンプコミックス)

血界戦線 魔封街結社 (ジャンプコミックス)

■ 内藤康弘 良いところの境界を渡る猛者

こんにちは。アベニティです。
最近、内藤泰弘先生の初期短編集を手に取る機会があり、作者の「この頃と今、比較しても全然話の作り方が変わっていない」との旨のコメントを見つけてから彼の代表作『血塊戦線』を読み返しているのだけど、やっぱりたまらなく面白い。ワンパターンに陥らず、かといって捻り過ぎず。

以下、コミックナタリーでの内藤先生のインタビューからの抜粋です。

大きい物語を閉じる苦しみはもう二度と味わいたくないので、1回1回でまとめるスタイルにしたことでしょうか。当時「ER緊急救命室」とかのアメリカドラマにハマっていて、群像劇っていいなと思っていたのもあります。このスタイルだったらいつまでもやれるなって思ってたんですけど、あれもやった、これもやったみたいに消耗戦になっちゃうので、最近は考えるのがつらいことがあります(笑)。マンガって、いくつになっても楽には描けないものですね。いつか観たドキュメンタリーで、手塚治虫先生もストーリーに苦しんでたからなあ。手塚先生が苦しんでるんだったら、僕らはもっと苦しむに決まってますもんね。なのでなるべく負担を減らすため、あまり教訓めいたものにならず、必殺技を叫んでるだけなのがいいと思います(笑)。

https://natalie.mu/comic/pp/yasuhironightow/page/3

「必殺技を叫んでいるだけ」という本人談ながら、実は安定した面白さのミソはここにあると考えている。
必殺技~というのは、悪く言えば前時代的かつ中二病的っぽく、下手をすれば作品自体を安く見せる危険性がある。だが、内藤作品にはそれがない。見事に、上手いことエモーショナルを付与された形で読者の目に届く。

この「必殺技・エモコンボ」を成功させているのは、偏に舞台立ての妙にあると言って良いだろう。

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BEASTARS 私たちの物語

 

 

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漫画家・板垣 巴留の活躍が目覚ましい。2018年 第42回講談社漫画賞少年部門、第22回手塚治虫文化賞新生賞、第11回マンガ大賞、大賞。他にも受賞多数で、若手としては異例の快進撃で爆走していると言って差し支えないのではないだろうか。

 

だが、その実力は伊達ではないと思う。私も「今年、去年あたりであなたが一番面白かった漫画は何ですか?」と聞かれたときに、真っ先に『BEASTARS』の名前を挙げられるくらいには好きだ。また学科こそ違うとはいえ、同じ大学出身であるということがとても誇らしい。

しかも私と年が一個しか違わないというところからも、尊敬の念が天井をぶち破りつつある。本当半端ねーーっす先輩…。

 

■あらすじ 理不尽な世界に生まれて

 

 

物語の舞台は、人並みの知能を有した肉食動物と草食動物が共生する世界。全寮制、中高一貫のエリート学校・チェリートン学園で、ある日アルパカの生徒テムが正体不明の肉食獣に喰い殺されるという「食殺事件」が発生。警察の見解では学内の肉食獣が怪しいとのことで、生徒である肉食獣と草食獣の間には不穏な空気が流れる。

ハイイロオオカミの少年レゴシは、大型の肉食獣であることに加えて寡黙な性格や(不器用ゆえの)意味深な言動によって、テム殺しの犯人だと疑われてしまう。レゴシへの疑惑はすぐに晴れるも真犯人は見つからないままであり、肉食獣と草食獣の間に発生したわだかまりは学園に暗い影を落とすーーー

 

BEASTARSの世界では、一部で偏見や差別が存在するとは言え表向きは「共生」が実現しているように見える。ただ、裏では肉食獣の食肉衝動を抑えるために草食動物の身体が高値で取引され、草食獣にとって危険な風俗店の存在がある。そんな世の中で主人公のレゴシは草食動物であるウサギのハルに恋をするディズニーのズートピア(2016年)を彷彿とさせる世界観ながら、ファミリー向け作品では難しいような恋愛描写にも攻め込む姿勢が勇ましい(また異種間の交配による出産が可能とされており、10巻時点でレゴシの祖父がコモドオオトカゲであったことが判明)。

 

この感情は性欲なのか、食欲なのか。それともその両方か…。正にきむらゆういち著『あらしのよるに』(講談社 2000年)の二匹が文明社会に生きる男女だったら~という内容であると言わんばかりのシチュエーション。若干、この二匹の設定や上述の諸々に作者のモナー趣味 趣向が伺えるところではあるが、その中で真剣に生と向き合うレゴシ君の素直さ、繊細さ、そして青臭さにはどうしても応援せざるを得なくなる。

 

大型版 あらしのよるにシリーズ(1) あらしのよるに

大型版 あらしのよるにシリーズ(1) あらしのよるに

 

 

もう一人の主人公格が、アカシカルイである。ルイはかつてハルと肉体関係を結んでいた(恋仲でもあったらしい)チェリートン学園の人気生徒であった。彼はある日、食肉目的で誘拐されたハルを追って裏社会の組織のボスを銃殺、その後とやかくあってその座=ライオンヤクザの組長として居座ることとなる。「世界の仕組みを変える~」等と印象強い台詞の多さに反し、割と受動的に描写されることが多い彼の役割はある種狂言回しに近いものがある。が、特筆すべきは彼と手下のライオン・イブキとの関係性。これに関してはもう読んでください。めちゃくちゃ尊い。語彙が足らない。好き!

 

BEASTARS 7 (少年チャンピオン・コミックス)

 

■作者の画力、豊かな感受性

 

読んでいて思うのは「作者は本当に漫画がうまい人なんだなぁ」ということ。見開きのコマの使い方、穏やかな一幕にも平気で放り込まれる殺伐とした一瞬。最初は粗削りにも感じたキャラクターの稜線は徐々に整理されて、回を重ねる毎にスピード感、リズムが伴ったものにシフトしていく。

 

元映画の製作を志していた作者というのもあるだろうか。明瞭かつ迫力のある構図の連なりで「映像」として余裕で脳内変換できるパートも数多く見受けられた(アクション、印象的なキャラクターの登場場面に関しては、父親と噂される板垣恵介氏の影響を感じるところもある…?)。

 

ヒロインが、ちょっと少年誌にあるまじき性に奔放な人物像で許されているというのは擬人化ならぬ「擬獣化」の賜物だろう。賛否あるところだとは思うが、これも世界の生々しさを伝えるのに有効に作用していると言える。

 

他にも女性キャラに行動的で強烈な色を持つ個が多く、彼女らの存在によって男側だけではなく女性同士、異性間の価値の擦れ合いや衝突が生まれる様が結構スリリングに決まっている。それぞれの「性」によって動く人間関係を躊躇なく活写しているおかげで、清濁併せた学園ものならではの味わいが十二分な密度で備わっているのだ。

 

本筋以外、閑話休題的に多様性についてのストーリーが織り込まれているのもとても良い。「種別の多様な在り方」が認められている世界だとはいえ、それに対する個々の戸惑いや、種に対する誤った認識もまた数多く横行している。先述した性についての意識、上記の事実について誰も気に留めないことに苦悩するキャラクターの姿、もはや全然他人事とは思えないのが最大の魅力だ。

 

作者の板垣はそういったコミュニケーションの難しさ・そこに生まれる齟齬について常に敏感に意識してきた人なんだということが伺えるし、衝突や和解を経てほんの少し歩み寄る二種族の姿にはちょっとグッとくる。

 

※本題からはずれるが、個人的に好きなエピソードは『 BEAST COMPLEX』 (少年チャンピオン・コミックス 2018年)の一遍、「ライオンとコウモリ」。とある理由から外に出られなくなったコウモリの生徒と、自身がライオンであることに誇りを持って生きる男子生徒の邂逅。それぞれの心情が明かされた後の、静かで豊かなクライマックスが胸を打つ。

 

■命題 生きるとはなんなのか

 

犯人捜しーーーというサスペンス風に始まった当シリーズだが、途中であっけなく犯人が明かされて物語は急展開する。テコ入れか?みたいな意見も少し出回ったが、むしろ物語の方向性を考えれば全然無理のない路線に切り替わったものと思う。若く危険な思考で動く肉食獣と対峙する、レゴシという個。作品が謳う「ヒューマンドラマ」の純度は限りなく高まった。

 

レゴシは強くなるために、肉が売買される裏市を仕切るパンダの元で修業を重ねるが、その一連のシーンが少年漫画的に悉く最高である。

 

中でも人生で一番長く付き合っていかなければならない人間は他でもない自分自身であるというのを再確認させる「禁欲修行」のシーンは大好き。生き方を学ぶというのは、周囲に対しての柔軟性を得ることではなく、自身をどう律していくかということに尽きる。これが当作品の大きなテーマなのだと思う。

 

他人に過剰なまでの理解を求めてしまう人(←これは主人公像とはやや異なるが)、対人コミュニケーションの際に壁を感じてしまう人こそ自己という存在への無理解によって苦しんでいる可能性が高い。このシークエンスで主人公がもがき苦しみ、健気に自我を受け入れんとするほど思春期の成長譚としての輝きは増し、読者はこの先の楽しみ指数が急上昇していく。

 

言い忘れたが、タイトルの『BEASTARS』とは動物たちを統率する英雄的存在(各学園から1匹ずつ選出された「青獣ビースター」と、その中のトップ「壮獣ビースター」の二つに分けられる)を指す造語である。現在、この言葉が取り沙汰される場面は少ないが、おそらく物語の方向性から言って反語的な意味合いで扱われていくだろうことは想像に難くない。それともこの座にきちっと誰かが居座って終局を迎えるのか、概念のままで留まるのか…。ラストまで目が離せない。(完)

 

アニメ 宝石の国~楽しい耽美と倦怠の結晶~

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先日友人の男と酒を飲む機会があり、飲み屋からそのまま彼の家へ向かったのだがトイレに花沢健吾の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』と『ピューと吹く!ジャガー』が並んでいて、なんか猛烈に感動してしまった。そんなチョロいアベニティのメガメガ感想雑記、今日は『宝石の国』について語ります。理由は今月末に発売されるフィギュアが大変楽しみだからです。昨年までは原作の名前を知っている程度だったし、自分でもここまでハマるとは思ってなかったけど、やっぱり良いものは良いしグッと惹き付けられるもんです。

 

■あらすじ~ポストアポカリプスな寓話~

 

遥か太古に”にんげん”が存在したと伝えられる遠い未来の世界。6度の流星飛来によって海中へと沈んだ地上の生物らは「微小生物」に食われて無機物となり、そこから宝石の体を持つ人型の生物が生まれることとなったーーー

それぞれの身体を構成する鉱物の名で呼ばれる28人の”宝石”たちは、絶えず月から来襲し宝石たちを攻撃・拐っていく月人(つきじん)との戦いを繰り返しながら、残された陸地で彼らの指導者である金剛先生の元で長い時間を暮らしていた。

宝石の中で一番若いフォスフォフィライトは、硬度が三半(ダイアモンドで十程度)と低く脆い性質である。その上他の仕事に適正がなく、自分にだけ役割のないことに不満を覚えながらも根拠のない自信を元にめげずに日々を過ごしていた。そんな折、フォスは遂に金剛先生から博物誌作成の仕事を与えられるが、彼が任に就いて間もなく夕暮れ時に月人の襲撃を受け、夜の見回りを役割とするシンシャに助けられるーーー

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原作の漫画は、上記の通りポストアポカリプス物である。

人類の文明などとうに崩壊した遠未来に生きる人型をした知的生命体が、一人の指導者の指示の元で暮らす世界が舞台。そこで主人公である個体が指導者への献身的精神から自らの可能性を試したいと行動、様々な事態と対面して世界の正体“禁忌”に触れていく。

 

この展開が、計算が届いたコマ割りとリズミカルな稜線、絶妙な台詞の間で描き出されているのが原作の漫画である。可憐な日常譚や束の間の平穏を挟みながら彼らの戦いはシビアに展開、主人公は自らの身体部位を失いながらも、施術によってそれらを別の物質で補うことで徐々に身体能力を発展させていき、同時に五体に宿るとされる自我さえも変化していく…(ここに市川春子が好きだとする洋画、『スター・ウォーズ』や『ロボコップ』の四肢欠損イズムを感じたり)。

 

物語が大きく動き出してからは、大陸上での体制と反体制の衝突劇へと転じていくのだけれど、ここにも不穏な勢力の構図が見え隠れしていて全く読者の油断を許さない。端的に言って完成度の高さが面白さに直結している作品である。

 

ただ、攻防アクションが主軸にある作品だからと言って、ダイナミックな活劇だけが見どころではない。原作主人公・及び主要キャラクターが世界の構造を知っていく時の、絶望にも似たあまりの倦怠に息が詰まる程の画の余白、空気感。これこそが市川作品の妙味であって物凄くそそられる。憎むべき”敵”かもしれない存在以上の、巨大な諦感との戦いだ。

 

このテイストはそのまま「大人になること」へのどうしようもないつまらなさにも似ている。周囲との折り合いが必要とか、暗い事実から目を背けて安寧に暮らすことが美徳だとか。また”宝石”達の間に流れる同調圧力の不気味さは現実世界と地続きのものであるからこそ肌に生々しい。思考が単純化されたキャラクターによって綴られる故に、ダイレクトにうっと来るものがある点にフィクションの力を感じるところだ。

本質はファンタジックなSFでありながら、全編に漂うのはノージャンルの香り。各キャラクターの造形に宿る絶妙にフェチズムなラインも、童話ともSFともつかぬ味わいを醸すのに一役買っている。強いて言うなら”寓話”だろうか。

 

■アニメの再現度

 

TVアニメ版は原典の雰囲気含め、全てをそのまま映像として落とし込む技巧が何より凄かった。3DCG(と一部手書きアニメーション)を駆使した劇場公開作と見紛う大胆なアクション以上に、質感の表現と微細な音へのこだわりには「3ⅮCGのアニメは無味で退屈」等と敬遠する人ほど驚かされるものがあると思う。3Dモデル特有の「ちょっと引っ張られているようなゆらゆらした動き」もキャラクターの非人間性(内外共)を引き立てるのに一役買っていて。確かにキャラクターそれぞれに実在感はあるのだけれど、決して生きた人間ではないと直感させる塩梅が見事。原作では割とがらんどうに見えた背景への味付けも宝石たちとの対比に成功していた。

 

綺麗で、妖しく、危うい世界観を抜群に魅せるエフェクトの数々も言わずもがなの美点だ。原作の一筋縄では行かない空気感を極めて高い純度で再現し、新たな視覚的面白さを上乗せする手管には本当に参りました。声優陣の熱演も出色で、中田譲治(この時期、TVアニメにおける重鎮キャラは大体この人が担当してた)小松未可子茅野愛衣らの安定感、難しい役柄である主役の幅を魅せ切った黒沢ともよの快演と非常に隙が無い。

 

毎度絶対に読ませてくれない先の展開だが、やっぱりキーは主人公とシンシャになってくるのだろう。金剛先生が「古代生物の欠陥」と暗に忌んだ”涙を流す”機能を備えているのが(確か)この二人だけである〜というのが何らかの伏線であって欲しい。フォスは脆い身体を戦いの中で欠損させ、その度に様々なマテリアルの義肢を備えて見違えるように強くなっていくのだが、皆がその変化を無邪気に喜ぶ中で(ここもちょっと不気味で面白かった、誰も主人公の過去の性質が喪われていくことを残念がらない…)唯一グレーな反応を示していたのがシンシャだったし。

 

原作はついにとんでもないところに行ってしまって完全にどうなっちゃうの~(喜)状態だが、私は映像としてこの続きが観たい。最新巻とアニメ二期、そしてフィギュアの到着を首を長くして待っている。(おしまい)

 

 

DEVILMAN crybaby~湯浅エモーショナリズムの極致~

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先日、私の家に滞在した大学の後輩と話をした。主たる内容は邦画と、昨今のアニメ全般についての事。2人とも若干趣味の方向は違えどいわゆる筋金入りのオタクであり、夜遅くまで滔々とその手の話を繰り広げるのは非常に楽しかった(周囲に理解者が少ないというのもある)。

 

そんな中で、湯浅政明の実質的な最新作『DEVILMAN crybaby』の話題になった。湯浅政明は二人とも好きなクリエイターであり、『夜明け告げるルーのうた』は2人で劇場にて観賞した。私があのデビルマンどうだった?と聞けば、まだ観ていない~と言う。どうやらそもそも脚本を担当した大河内一楼コードギアス』シリーズ)にピンと来ていないというか、彼の作劇に興味を見出せなかったらしいのが理由だという。とりあえず、『DEVILMAN crybaby』(以下CB)は私が加入しているNETFLIXで1話から、何夜かに分けて観てもらった。結果としては、やはり「う~ん」という返答が。いろいろ文句を聞いたが「作画の完成度、脚本の練度から言ってもこれが湯浅作品だと認識するのはしんどい」という感想が印象的だった。

 

私はこの作品を良作だと捉えているが、当作が他の湯浅作品と比べると相当に世間からの風当たりが強い作品であるということはネットの風潮・個人評等から理解している(まあ天才・永井豪の代表作を世界のユアサが監督するとなれば過剰に期待しない方が無理だし!)。また、そんな自分も9話~最終話を観るまでは作品の方向性が掴めず、ずっと首を傾げながら眺めていたのも確かであった。逆になぜ自分は最後の最後でこの新生デビルマンの物語に心打たれたのか。そこから本作の魅力に迫っていきたい。また、ここではあえて永井豪の原作より「湯浅政明の作家性」について取り上げていく。なんで今更?の感もあるが、ネトフリでの配信当時より今の方がかなり冷静な分析が出来ると踏んでのところもある。にしてもちょっと遅いけど。

 

湯浅政明の作家性・世界VS~の構図

 

私にとって、湯浅政明はとりあえず「新作が出たら観る」クリエイターの一人である。程度はもう、熱狂的なファンと言って良いくらいには彼の作風を愛している。

湯浅本人曰く「鑑賞者が見て一発で気が狂うような作画」にダイナミックな構図。驚きの絶えない展開、センスの良い音楽。だがそれらはあくまで要素であって本質ではなく、これらピースが最高に作用するだけの骨太のプロット、脚本が最高なのである。

 

彼の名を一躍知らしめるきっかけとなった作品『マインド・ゲーム』に代表されるように、毎回主人公に据えられるのは非常に無垢的な存在。ひょんなことから事件に巻き込まれ、臨死体験を経たりして(この作品では実際一度死ぬんですけども)アニメならではの気持ちい~い動きをフル動員させながらの空前絶後の大冒険、その先に主人公が「自分の殻を一歩抜け出す」ところに最大のカタルシスを置いて物語は幕を閉じる。イニシエーションの含みや若干の説教臭さすら感じるところながら、まこと鮮やかな娯楽活劇として纏め上げるその手腕に私は初見時で心底惚れ込んだ。

 

この作品だけが特異で辺鄙だという言われ方をすることはままあるが、実はここにみられるのは徹底されたイズムであると断言できる。例えば、柔軟なサブカル性と言うべき湯浅政明の技量を世に知らしめた作品『四畳半神話大系』がそうだ。森実登美彦の原作小説は「可能性という言葉を無制限に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」とのテーマに則り冴えない大学生がSF(すこしふしぎ)な並行世界上どこでも四苦八苦する~というストーリーで完結していたが、アニメ化にあたってはそこから一歩踏み出した華ある展開と画力(えぢから)でがっしり視聴者の心を掴んだ。不可能性の中の可能性を手繰って生きていこう、みたいな。

マインド・ゲーム [Blu-ray]

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四畳半神話大系 Blu-ray BOX

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思えば、言わずと知れた傑作『ピンポン』にもそのイズムが色濃い。

恵まれない環境を経験、外界からの遮断を自ら望んですらいる少年と、彼に干渉して世界の見方を刷新しようとする存在=いわば世界そのもの。そしてこの構図の逆転。物語が進み個と個の物語が衝突、擦りあっていくにつれ熱いブロマンスが発生し、彼を取り巻く環境や人々に大きく作用していく。高い人気を誇る漫画原作を持つ作品であるため一部では不平の声も買ったようだが、松本大洋の力強いタッチをアニメーションへの落とし込む際の違和感のなさといい、個人的にはこの上なく誠実なアプローチで完成させられた傑作だと思っている。

 

■crybaby、壮大な片想いの物語

 

さて、本題のCB。この作品でピックアップされるのは、「人間の感情を持たない悪魔の初恋とその末路」である。これは原作にあった展開とはいえ、若干趣を違えた解釈がなされていたなぁと思った。実質第二の主人公である了(サタン)が自らの記憶を封印し人間として生き、心優しい少年・明(後のデビルマン)に淡い恋心を抱く。彼の計略もあって人類が滅亡状態を迎えた後、了は避けられない運命を明に告げ、彼に共闘を申し出る。だがサタン=了を許せない明は本格的に彼と対峙していくことになるのだがーーー。

 

原作の本筋のストーリーは、主人公である明が「全部失敗する」物語である。しかしCBでは、「人が思いを繋ぐ意味」というテーマに着地した最終回となっている。悪魔と同化しながら人間の心を失わなかったデビルマンら(悪魔人間たち)は、原作とは違って衝動的に人を殺したりするも、最終的に自らの愛に気づき、人を守る側につけば“人間”であるという再定義がなされていた。

ここで、明という存在そのものに一方通行の思いを募らせた了に対し、彼が人は人の形を失えど、懸命に駆けるからこそ価値ある存在であるのだ」という事実を自らが戦う様を以て示す。この異形のヒーロー・デビルマンの姿が真に胸を打つのだ(実写版『デビルマン』で微妙に上手いこと扱われなかった陸上モチーフを”リレー”として引用してきたやり口にもグッとくる)。結局、デビルマン=明は力尽きて死に行くが、ここで了は自身の全て、世界そのものであった明の存在と自らの深い感情を知るーーー。

 

心に敏感であって常に涙を流していた明に、無感情だった了が興味を覚えて…のくだりもよくよく考えたらひたすらエモい。サタン=了の物語は正に「世界と対峙した無垢な存在」譚の真髄だった。また最終回に用意されたカタルシスに心震わされるのはいつものことながら、そこにはあえてキャラクターに寄らない「残酷性」が確かにあった。湯浅政明×デビルマンならではの美しい殺伐に圧倒的切なさを付与したその手管・試みに、私はまんまと泣かされてしまったのである。原作とは大きく違ったディティールのキャラクターデザインや色調も作品が持つ儚さを殊更に強調して見せるようで、全くデビルマンぽくないけどちゃんと観たらデビルマンだ!と思わせる塩梅で良かった。

 

普段の湯浅作品と比べてアニメの動きが甘いとか、作画がどうとかいう意見もたくさん耳にしたしそれは紛れもなく作品的短所であると思う。が、冒頭にも直結するラストの了の啼泣に私が心を打たれたのは確かであった。時空を越えたデビルマンが歴史上の偉人・犯罪者と会遇して彼らの人生を大いに狂わせていくぶっ飛んだシークエンスも湯浅政明の手で映像化して欲しかったところだけど、綺麗にまとまっていたのでこれ以上とかく言うのは高望みである気もする(大河内一楼の脚本力で見事にセーブされたというべきか)。

 

相当な話題作であったために多くの人の眼に留まった作品だとは思うが、まだ未観賞の人がいれば是非一度観ていただきたい。(終)

 

 

 

 

ヒロアカ劇場版〜紡がれる作品の本質〜

みなさんこんばんは。アベニティです。


まず公言すべきは、私は生粋の漫画好きであるということ。ノージャンルでほぼ何でも好きだが、とりわけ週刊少年ジャンプは中学生の頃から親しんできたジャンルであり、その中で今や看板漫画となった『僕のヒーローアカデミア』は連載開始当初から熱く追っていた一作であった。


そんなこんなで、この作品は公開直後に劇場へ足を運んだ。純粋な感想として、劇場版アニメとしてかなり高水準な出来になっていたと思う。終盤では予想外に泣かされたし、原作内容を反芻させてくれるという意味では中島かずき脚本・高橋渉監督の『逆襲のロボとーちゃん』、黒岩勉脚本・宮本宏彰監督『ONE PIECE FILM GOLD』に並ぶ完成度だといえる。



X-MENを始めとする群像ヒーロー物では、特殊な能力を持つ人間は純粋に数が少なかったり活動が法規制されていたりするパターンが多い。その設定の中でマイノリティとしての苦悩が細やかに描かれていたりするのだが、『僕の〜』の世界観はその全く逆であるというのがちょっと新しい。圧倒的マジョリティである超能力者が自らの力を“個性”と呼ぶ、ヒーロー活動が職業として公認された世界。特殊能力を持たずに生まれながら、苦悩とたゆまぬ努力を重ねて夢への切符・ヒーローへの道を手にする主人公の姿は、幼い読者層よりも「まだ自分が何者でもない」ことに悩む思春期前後の少年少女にこそ響く内容になっていると言える(ここまでのシークエンスが抜群に光る第1巻の構成、マジで日本漫画史に残る完成度)。また成長していく彼に周囲が触発され、人々の在り方が徐々に変化していく様子も細やかに描写されており、彼を取り巻くキャラクター達の中におおよそ「モブキャラ」と呼ぶべき個が存在しない点も特筆もの。様々なアメコミ作品からの引用・オマージュも元を知らずに見ても楽しめる具合であり、隅から隅にまで作者の愛を感じるために読み返すのがたまらなく楽しいシリーズになっている。



さて、そんな原作の劇場版アニメ。

ヒーローになりたい主人公と彼の精神的素養を見出したトップヒーロー・オールマイトの師弟関係を再確認出来る前〜中パートはよくまとめ上がっているとは言え概ね予想の範囲内だが、本当にグッと来たのはゲストキャラの胸中が語られてからである。平和の崩壊を憂い、失われつつある象徴を守ろうと道を違えた“とある人物が、今歩き始めんとする未来の象徴=デクの姿を目にして自己の行いを悔いる。ここまでのシーンがひたすらにエモい。この原作イズムがちゃんと汲めていることでヒロアカの1エピソードとしてきちんと成立させられていたと言えるし、このストーリーテリングボンズによる作画充実度が付与されることでかなりレベルの高さを感じる仕上がりに。レギュラー声優陣の熱演も言わずもがな(特に主役の山下大輝は成長の伸び幅が著しいの一言に尽きる)だが、特別出演の生瀬勝久志田未来の演技があまりに自然すぎて驚かされる。それぞれの要素が互いに足を取られることなく、小気味よくまとめられており観ていて始終気持ち良かった。


ちょっとTVアニメに寄り過ぎた風のエフェクトや、一見さんお断りなキャラ描写から言ってもあくまでファン向けと言った内容だが、別視点からみた本編補完作としてかなり満足できる一品に。原作・アニメを知る人なら是非劇場へ足を運んでもらいたい。(終)