レビュー『エンジェル、見えない恋人』 視える・視えない~の官能世界

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出典:

https://www.cinemacafe.net/article/2018/08/09/57849.html

 

エンジェル、見えない恋人』は兼ねてより観たかった一作だった。ファンタジーが元より好きだというのもあるけれど、一番はポスタービジュアルの美しさに惹かれてである。

鮮やかなブルーと赤の中にある少女の淡い色合いの服。幻想美とプラトニックを感じさせる色彩にちょっと惚れ込んで、公開される10月を心底待ち望んでいた。

人とそれ以外の存在、異種間との恋愛もので言うとやはりシザーハンズ(ティム・バートン監督、1990年)に『ぼくのエリ』(トーマス・アルフレッドソン監督、2008年)、去年のシェイプ・オブ・ウォーター(2017年、ギレルモ・デル・トロ監督)と言ったタイトルが連想されるが、本作にはそういった作品的な強度に比肩するようなものはない。しかし、ただただ優しくて、とりとめのない日常のイメージが連ねられていく一作という点での特色がある。

とりま、私は劇場で観れて良かったなあと思いました。元来好きなテーマだしね(『アマゾンの半魚人』を子どもの頃に観、「何で半魚人と美女の恋が実らないんだ!」とフラストレーションを溜めた〜というデルトロ監督にも大いに響く内容だったかも知れない)。

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出典:

https://www.cinemacafe.net/article/img/2018/10/14/58639/401288.html

 

 

■透明人間と盲目少女の恋

以下、あらすじです。

マジシャンの恋人が謎の失踪をしてしまい、心を病んでしまったルイーズ。
施設に入居した彼女が生んだ息子のエンジェルは、不思議な特異体質を持っていた。
誰の目にも、その姿が見えないのだ。

世間との接触を一切絶ち、懸命に息子を育てるルイーズ。
勉強も遊びも、いつも一緒。
特にエンジェルは、ママが小さい頃に両親に連れられて行ったという、湖のほとりにある小屋の話が大好き。
ルイーズの深い愛情に包まれて、彼は優しい男の子に育っていった。

 

そんなある日。エンジェルはふと施設の窓から近所の屋敷を覗き見る。

初めて見る外の世界の人の姿。

彼はそこにいた女の子のことが気になって仕方がない。

まもなく勝手に施設を抜け出し、近所の屋敷に向かうエンジェル。

木漏れ日の中、庭でブランコに乗っていたのは、盲目の女の子マドレーヌだった。

「こんにちは、はじめまして」



「……ぼくのことが見えるの?」



「見えないけど、声と匂いがするから」

出典:

映画「エンジェル、見えない恋人」公式サイト 2018年10/13公開

 

予告編はこちら。


映画『エンジェル、見えない恋人』予告編

 

瑞々しく、美しい青春譚。語り口が割とライトで、端々に見受けられるリアリティラインの緩さに寓話っぽさを感じたりする。しかしどこかに現実の重さがしっかりとあって気が抜けない。

官能というのは、原義として「追いかけても易々とたどり着けない領域の事を追う感情、気持ち」を指すというのを前に何かで読んだことがあった。本作はそれを一番に連想させる内容である。盲目の少女は目の前にいる彼の姿を想像し想い焦がれていく。人の目には見えない彼も、手術で彼女の双眸に光が与えられたとしても自身の存在をそこに認めてもらえないことを知っている。ここで人物らの感情の錯綜が、観客に不思議な気持ちを齎していく。どうすれば彼らの想いは報われるのか、彼らにとっての“幸せ”が訪れるのか。

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彼女の前に姿を見せられないエンジェル。焦燥と哀しさが伝わる。

出典:

https://www.cinemacafe.net/article/img/2018/10/14/58639/401293.html

 

■さりげなくもフレッシュな映像表現

主観と客観を交えながら、主人公の透明性を明確に見せていく映像自体も純粋に面白いと思った。彼が手にする物体のCG合成、投影の自然な塩梅。

表現が繊細である故に辛さをもって迫るシーンも多数。洗面台で指先を水に浸し、鏡の前で指先の水を映してみる主人公。その姿は彼の目には見えず、空中で光る液体のみがその存在感を示す場面の特筆しがたい居た堪れなさが忘れがたい。

全体を通して、鏡が重要なモチーフとして扱われている。人の存在、その人となりを嘘偽りなく映すはずの道具。そこに映らない少年は自身の実在の危うさに怯えながら成長していく。対照的に少女は、視力を取り戻した後に自身の姿をそこに見、自身の世界が開けていく様を認めていく。

若干笑ってしまうような一幕もあった。青年になった彼が、いくら彼女に自身の体質を知られたくないからと言って目隠しをして外に連れ出したりするシーンが若干アブノーマルだったり、そのままラブシーンにもつれ込まれたりすると若干どんな顔をして観て良いのか分からなくなるというのは確かだ。また(目の手術を受けるため離れていった)少女を待つ少年の、その間の生活が描かれていなかったりする点が単に違和感として印象に残ってしまった。重箱の隅案件かもしれないが、ここでのリアリズムが程よく主張して来ると尚、作品として面白く感じたところかもしれない(このオミットありきで❝大人のファンタジー❞としての独特な温度感は保たれているのだけれど)。

 

ややあって彼らは自身のあるべき生き方を見出していくことになるが、その展開に至るまで、観客は不可視の存在に対しどことなく不安な気持ちを抱かされる。最後の最後に、本当の意味での少年の心根を知るまで。

あくまで優しく彼女の幸せを請い願った彼が起こした決断、その末路には思わず涙ぐんでしまうところで、故にラストの遊泳の場面にも暖かさを感じるところだった。

 

■目に見えないのは愛も同じ

少年の存在を認め、愛したのは彼の母親と少女だけ。だが、そもそも愛情というのは視認できるものでもない。あくまで一個人が特別な感情を向けた相手に対する行動の中にそっと滲むものであって、対象の“姿”が見えているか否か=対象がどんな姿をしているかは問題では無い…というのが作品の主題なのだろう。それを伝えるため優しく、柔らかく描き出された80分間が美しい。

盲目の少女が見抜いていた少年の心、満たされたいと思いながら孤独な日々を過ごしていたピュアな透明人間のラブストーリー。今時珍しいまでに「二人は幸せに暮らしました」という所に収束する物語ではあるけど、それ以上のフレッシュな見どころにドキドキさせられた一作だった。

 

(おしまい)