ラ・ラ・ランド おい!CMより面白いぞ!!系の名作
おはようございます。アベニティです。『セッション』『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼルの新作がまたもや話題になっていて凄いですね。聞くところによると、戦争映画における『プライベート・ライアン』ばりの傑作!!という評も上がっているそうで。これは方法論的な話か?それとも主題の扱い的なあれで…???といろいろ考えてしまうところですが、この間後輩と『ラ・ラ・ランド』の話をしたのを思い出し、再見したくなったのでBlu-rayを再生。
ラ・ラ・ランド スタンダード・エディション [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2017/08/02
- メディア: Blu-ray
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ということで『ラ・ラ・ランド』。この映画、実は周りの人に聞いても「面白かった!」という意見をあまり聞かない作品。『セッション』は評価しても、ララランドはねぇ…という方が多い。この前一緒に話した後輩は『セッション』と『ラ・ラ・ランド』の類似性を指摘しながら評価していたという点で馬が合ったのだけれど、実際はしっくり来なかった!という意見の方が大半。
詳しく理由を尋ねれば、やっぱラブストーリーは~と言った個人の恋愛観のお話になるケースも多かった。偏にこれは、日本版CMのせいにあるなぁと思う。悪い方で印象に残っていてかつ一番鼻についた宣伝文句が「観たもの全てが恋に落ちる極上のミュージカル・エンターテイメント 」。まぁこういう売り出し方の方が人が観に来やすいんだとは思うけど、全く主題から離れた惹句やポスター、予告の数々には少し呆れてしまった。そういう映画じゃねえから!!少なくともこれは違うでしょ!
■ コンパクト かつスマートに奏でられる日々
観返せば、これは意外にもコンパクトな逸品だということを再認識させられる。あくまでパーソナルな生き方についての話。
チャゼル監督が描く”アーティスト”は常にハングリー精神に満ちている。「メッセージを伝え人心を震わそう」「多くの人に感動を与えよう」より先に名声を得よう・己の存在を歴史に刻もうが来る。それもかなり乱暴な感じで。それが間違ったものだとは言いたくないし、どんなアプローチであれそれが結果人間の心を鷲掴んでしまえばアートとして成立する(そこにキャラクターの狂気性を上乗せして描き出したのが前作、『セッション』だった)。
出典:http://www.cinema-life.net/wp-content/uploads/bcf436f45d8463610d15ce80ea5f22fe.jpg
本作はそういった動機で”夢”を追う二人の男女のストーリー。物語内で語られる音楽、ジャズ、映画についての言及は、そんな彼ら目線からの解釈なので正直面食らう人も多いだろう。ぶっちゃけ作中での彼らの行動、仕事の勤務態度とか諸々全然褒められたもんじゃない。普段は相当イヤミな体で人と接しているだろうし、自分と思想が合わない人間を陰で見下したりしてるに違いない。
だが、そこは前作で「上っ面の正論、正しさだけじゃ到達できない境地があるよ!」と意固地になって伝えていた監督だけあって、なんとも奇妙な塩梅で本人らの主張が正当化されていた。しかも計算づくで端的に。強いて言うなら主演の二人がカップルと言うよりパートナーに見え始めた頃からのバランスの整理が巧み。
また本作、正確にはミュージカルのジャンルに分類されないのでは…?という気もしてくる。純正のミュージカル…私が良く知っているタイプのそれはやっぱり「楽しい時には楽しい曲」「哀しい時には哀しい曲」~という、主人公が劇中どのような場所、どんなシチュエーションにあっても常に歌と音楽で心情や場所的状況を表現していくものだと思っていた。本作におけるその手の楽曲は冒頭のキャラクターの高揚状態(主人公二人が「ロサンゼルスで一旗揚げるぜ!」というもの)から、恋愛の成就くらいまで。そう、ミュージカルパートは端的に「浮かれている・地に足が着かない」ことを表すための小道具でしかないとも言えるのだ(現に、タイトルの『La La Land』とは「現実から遊離した精神状態」を示す)。
ただ観ていくと、世間的に正しいとされる人間のドラマ、作品構成ばかりが面白いわけじゃないということを強く認識させられる。ちょっとヤンチャをするデートに、どちらに分があると言い難いような痴話喧嘩。
ミュージカル特有の派手な画面、人物の心情を代弁する盛大な歌やダンスが無いシーンも重要だ。作り込まれた丁寧な画にじっと見入らせ、これらを輝かしく演出する絶妙な匙加減の日常音や音楽に聴き入ってしまう。白眉であるラスト、二人の間における様々な人生の分岐点が回収されていく場面も非常〜に小憎くて素晴らしい(強いて言うなら中後半、オーディションでの”夢追い人に〜”のシーンは少しやりすぎかなと。直接的すぎて響かず、むしろ今までのやり取りの蓄積を台無しにしかけていた気もした)。
■ 妥協に生きなかった男女のストーリー
出典:List of nominees for the Golden Globe Awards | Boston Herald
夢のような幸せな時間を経た後、妥協しながら二人で連れ添うことよりもそれぞれの人生・生き方を選んだセブとミア。二人の関係は終わってしまうが、「各々の”夢”に向かって駆けた輝かしい日々」は一生残り続けるのだ。その中でのみ、彼ら二人の姿は永遠に在り続ける~という切なくも優しいラストには泣かされた。よく、人は他人を拠り所にして生きると大きな失敗をする~といった旨の話を聞く。
人は変わるし、裏切るし、忘れてしまう。そんな不安定な存在に依存する(自分の主義を曲げてまで傍にいる)ことは、自らを破滅に追いやることと等しいという意見。こんな思考を基にセブはあのような道を辿ったんじゃなかろうか。自分の安定感の無さを受け入れていたからこそ、よく自身の本質を理解していたからこそあの暗転の後に身を引いたのでは、という推測。そう認識した上で観ると、幸せな家庭を作り、安定を求めたミアとの対比が物哀しくもよく分かるバランスだ(ちょっとこじつけが過ぎるかもしれないが)。
…小難しいことを並べてしまったけど、そんな堅苦しい作品じゃないのも魅力の一つ。
思い出せば観たくなる、そんな味わいを湛えた”生き方”映画である。(完)