映画『愛しのアイリーン』 みっともなくも克明に描かれる「愛」の形、齎された悲劇

愛しのアイリーンは最初に予告編を目にしたときから観たかった作品の一本だった。『ヒメアノ~ル』(2016年)犬猿(2018年)の吉田恵輔監督が、『真説ザ・ワールド・イズ・マイン(2006年)の新井英樹の漫画を映像化するという大ニュース。もうそれはつまらないわけがなくね?!と鼻息荒くしていたのだが、自身の制作や予定の目途が立たずようやく足を運べたのが上映終了すれすれの今という。全く情けない話、趣味すらまともに楽しめない近況に涙が出てくるが、無理を押してでも劇場で観ておいて良かったなとつくづく思った。評判の良い作品はたいてい当たりだった今年だが、群を抜いてガツンと来た一作でした。


新井英樹原作×安田顕主演×吉田恵輔監督『愛しのアイリーン』特報

 あらすじはこちら。

一世一代の恋に玉砕し、家を飛び出した42歳のダメ男・宍戸岩男(安田顕)はフィリピンにいた。コツコツ貯めた300万円をはたいて嫁探しツアーに参加したのだ。30人もの現地女性と次々に面会してパニック状態の岩男は、半ば自棄になって相手を決めてしまう。それが貧しい漁村に生まれたフィリピーナ、アイリーン(ナッツ・シトイ)だった。岩男がとつぜん家を空けてから二週間。久方ぶりの帰省を果たすと、父の源造(品川徹)は亡くなり、実家はまさに葬儀の只中だった。ざわつく参列者たちの目に映ったのは異国の少女・アイリーン。これまで恋愛も知らずに生きてきた大事な一人息子が、見ず知らずのフィリピーナを嫁にもらったと聞いて激昂するツル(木野花)。ついには猟銃を持ち出し、その鈍く光る銃口がアイリーンへ……!

出典:http://irene-movie.jp/sp/story.html

 

 

■無償のSEXを求めた主人公と、金のため日本へ来たアイリーンの哀歌

アイリーンは金で買われた女であるといえる。家族の生計を助けるためにと家を飛び出し、性の知識もおぼつかないままに日本へやって来た。そこで彼女は少しずつ自分の結婚相手・岩男の性質に触れ、彼に対して好意を覚えるようになっていく。元の関係性のしがらみなど、どこにも感じさせないような夜のデートでのキスシーンが印象深い。

楽しそうに笑い合う二人、観客の脳裏にはここで「幸せ」の二文字が浮かぶ。

「他人の不幸は当人にしか分からない」とはよく言われることだが、の幸せもその人でしか分からないのだ。それはあくまで個人の領域であって家族であろうと介入してはいけない部分だし、本来なら何を言われてもはね除けて然るべきところである。

だが、そこに幾重にも絡んだ事情があると話は違って来る。本作ではその様々な事情〜閉鎖的なしきたりやそれぞれの価値観から来る諍いそこへつけ込む搾取等によって齎された

一つの“世界”の終焉が描かれる。

非常に丁寧に人々の感情の変化や崩壊するバランス、それに付随するシチュエーションの移り変わりとその顛末…これらが見事に綴られた、吉田監督の代表作となるであろう一作が『愛しのアイリーン』だ。

 

■個人の愛=エゴイズムによって錯綜する感情たち

まず愛というのは、転じて強烈なエゴイズムであるといえる。好意や思慕を超えた巨大な感情。その感情を向けた存在を多義的に縛らんとし、追い詰めて、時にその対象が人であれば相手にも同程度かそれ以上の情動を強いたりする。

アイリーンを除く主要登場人物は、皆みっともないまでに自分勝手な❝愛❞❝性❞を露わに生きたがっていた。岩男の母親であるツルも、思えば家のため息子のため〜という名目の元に自身のエゴを振りかざしていた印象的な人物の一人だ(そこに至った悲しい理由が明かされると観客側の辛さも募る)。

 

そしてアイリーンを想う気持ちからやむなく殺人を犯してしまい、その罪の意識で岩男は彼女に対しての思いやりを失ってしまう(ここの唐突かつ「あっ」と思わせる描写がキレまくっていて凄い)。彼女を性の道具のように扱い、他の女性とも関係を持ち続けた彼の生活は荒んでいく。彼、また周囲の人間を狂わせたのは愛以外の何物でもなく、それがひたすら哀しくて切ない。奇妙礼太郎書きおろしの主題歌面の輪舞曲』の歌詞、「愛のあやとり 愛は絡まり 愛は早まり  愛は終わる~」は映画の展開すべてを表している。エンドロール、これらのパートが痛烈に胸に刺さった。

岩男はなぜ常に、終盤に至るまで愛の行為を「おまんこ」と連呼していたのか。それはおそらく彼が照れ屋であったせいもあるのだろう。不器用でみっともなくて、そしてそこにはただただ人間臭さがある。

 

■登場人物らの“良い顔”がひたすら光った。

北海道民にはおなじみ、ヤスケンこと安田顕が務め上げた主人公像がすごく良かった。素晴らしいことに、ヤスケンが出ているシーンはほとんど最高。

若干スレているようで心根はピュア、真面目かつ無趣味、性根がしみったれててコミュ障ながら性に対する欲求は人一倍の42歳…そんな人物像をベストなかたちで体現しきっていた。セックス中に相手にゲロを吐いたり、うたた寝する女性のスカートを捲ってオナニーしたり、昼間から不貞に走ったり~とちょっと薄汚いシーンの数々も、抑えの変顔演技で躊躇なく演じ切るハイパー役者魂に感服。よく見る普段のオーバーアクトとは質を違えた佇まいの自然さが凄くて驚く。というか、何よりあのが忘れがたい。ぼんやりと据わっていて、瞬きの回数も少なくギラギラした光がずっと消えない双眸。童貞が経年した結果、老いた獣のような迫力を湛えるまでになったというキャラクターを哀しくも可笑しく体現する目の演出が笑いを誘う。

アイリーンを演じたナッツ・シトイもめちゃ素晴らしかったです。言語の壁が存在するゆえにちょっと幼く見えてしまうところがあれど、実は快活で利発な大人の女性であるといった複雑な人間性を見事に演じていて。片言の日本語を話す日常、英語で伊勢谷友介と議論を交わす場面、母国フィリピン語を用いて話す時それぞれの温度感に差がつくってあって、細やかな演技についつい見入ってしまった。強かさをしのばせた健気な笑顔もすこぶるキュート、彼女が不憫な目に会いそうになる度に「おい!!ババア!!!アイリーンいじめてるんじゃねえよ!!!!(激昂)」「おい岩男!!アイリーン泣かすなこの野郎!!!(大激怒)」という気分にさせられた。

そう、驚くほどナチュラルだった彼女の涙も忘れがたい。泣きのシーンの数々に迫真のリアリティと豊かなパターンがあり、安田と並んでシトイの全ての表情に物語のフィクション性をまるごと奪うだけの力が存在していたように思う。

 

本作の原作漫画は未読ながら新井英樹の作品だと『真説ザ・ワールド・イズ・マイン(2006年)と『SCATTER あなたがここにいてほしい』(2010~2017年)は読んだことがあったのだが、シトイに伊勢谷友介、桜まゆみ、河井青葉に田中要次…といった面々の画的な雰囲気再現度もそう半端ではなかったように思います。圧倒的なまでに新井英樹作品の色を感じた。造形がどうこうじゃなくて「似てる!」のだ。特に車を運転する伊勢谷友介の顔が後部座席から見える時の一瞬のあの表情、あの目つきが見事で。兼ねてより実写化を熱望していた吉田監督だけあって流石のこだわりぶり、凄かった。

 

■❝結婚❞映画の金字塔たり得るかもしれない本作

吉田監督の作品は、登場する人々の気持ちの行き違いから来るサスペンスと、あまりに真に迫っていながらも笑えるコメディが特色だった。劇中の登場人物にガッツリ感情移入して、笑ってギョッとさせられて。観客は劇中繰り広げられる数々の事態を自身の過去と照らし合わせたりしながら、その動向をついつい必死に追ってしまう。そういった作劇の集大成である。

介護、未婚、国際化…本作が内包するテーマは多岐に渡るが、一番多くの人にとって身につまされる点は結婚・恋愛についての妥協や後悔の部分じゃないかと思う。その普遍的なドラマの完成度だけ言っても十分な説得力があるし、映画作品として滅茶苦茶面白かった。次はどんな作品が生み出されるのか楽しみにしたい。

 

(おわり)