タテタカコ 高校時代の思い出と共に かつての“恐怖”を聴き返す夜(2)
こんばんは。アベニティです。
画像はタテタカコのアルバム『イキモノタチ』(2007年)のジャケット。この絵からして既にちょっと物騒だな。一体何の生き物なのだろう。
タテタカコは、私が高校生の頃によく聴いていたアーティスト。私は高校時代は寮生活で、1年生の頃は先輩と一緒に生活するのが決まりだった。
先輩はどちらかといえば人との密な交流を好むタイプでは無かったが、文化に通じている裾野の広い人だった。幼い頃から『ブレードランナー』『未来世紀ブラジル』等の作品に親しんで来ていて、同じく私自身も映画好きだったという点で話が合った。
そんな中で、同室の彼とその友人さんに教えてもらったのが彼女の音楽。当時はその楽曲の完成度にただただ圧倒されて、先輩の不在時にiPodを借りて聴きまくる程(※許可はもらい済み)だった。当時は女性アーティストでいうと椎名林檎と宇多田ヒカルに熱を上げていた私であったが、それに並ぶベタ惚れぶりであった。また、その頃夢中で読んでいた奥浩哉『GANTZ』のカタストロフィ編と合う曲も見つかって、漫画を読みながら音楽を聴くというのもよくやった。
ただ徐々に曲に親しむにつれ、これまた結構な不安に苛まれるようになって来る。『明日、僕は』を聴いて、あまりにも身に迫る茫漠のムードに圧迫され、同時にそれに自分の進路への悩みが合致して強い焦燥を生んだ。
自身についての悩みが漫画という趣味を停滞させると、今度は耳にする音楽が恐ろしいまでの訴求性を持って心に侵入するようになって来る。なんてウブウブでセンシティブなガキんちょだったんだろうと思って微笑ましくなるが、その時は心底、タテの音楽が怖いと思っていたのだ。
久しぶりに曲について思い出すと、ちょっと自分の中のセンチメンタルが刺激される部分がある。が、頑張って歌詞を読みながら音楽を再生してみる。恥ずかしながら、そこそこな死ぬ思いになる。
率直かつ、生々しい歌詞。世界に対してあまりに素直すぎる文の一節一節に込められたある種の崇高、常に迫り来る何かに立ち向かわんとする意思が愛おしい。作品としてどれも完成度が高く、流していると永遠に聴いてしまうタテの音楽。多分、高校時代の苦しかった思い出と共にこれからも聴き続けていくのだろう。
(おわり)