イコライザー2 マッコール先生による道徳の時間!道を示す者としてのイコライザー

 

先日、久々の友人と映画を観た。

 

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引用元:

https://eiga.com/movie/89517/photo/

 

この前作、イコライザーアントワーン・フークア監督、2014年)のDVDを貸した親しい男と共に劇場へ向かう。非常にワクワクした。一作目のは一度観た後気がついたらもう一度再生していた(あ…ありのまま今起こったことを…)ほどにメチャ好きな一作だったから。

 

友人もお気にの作品だったらしく、鑑賞後の焼肉屋でのトークも弾んだ。

 

 

■帰ってきたマッコール!今度の敵は〇〇〇〇〇

↑一応伏せておきましたが、もう結構内容は明かされていますよね。

以下、公式よりのあらすじ〜なんですが、ここでも結構なネタバレ映画にして四分の三くらいの内容が文字上で展開されていたので完全な情報遮断がお好きな方は閲覧をお避けください。

 

昼の顔と夜の顔を合わせ持つ元CIA エージェント、ロバート・マッコール。昼はタクシードライバーとしてボストンの街に溶け込み、夜は冷静残虐に悪人を始末していく。彼の“仕事請負人=イコライザー”としての顔は誰も知らない。ただひとり、CIA時代の上官スーザンを除いては。だがある日、スーザンがブリュッセルで何者かに惨殺される。唯一の理解者を失い、怒りに震えるマッコールは極秘捜査を開始。スーザンが死の直前まで手掛けていたある任務の真相に近づくにつれ、彼の身にも危険が。その手口から身内であるCIAの関与が浮上、かつての自分と同じ特殊訓練を受けたスペシャリストの仕業であることを掴む。今、正義の《イコライザー》と悪の《イコライザー》がついに激突する!

引用:

http://www.equalizer2.jp/sp/story/

 

結論から言えば「面白い」作品だった。演出、舞台立てにシチュエーションの全てが前作よりアップグレード、エポックな味わいや夜景等の画の美麗さは若干前作の方に軍配が上がるのだけれど、シブめのアクション作続編としてなかなかの満足度があった。

若干既視感ある展開が並んだり、ミスリードもなく前作以上にスルスル先を読ませてしまう物語はちょっと大味に思うところも。ただ、マッコールが来た!はい勝ちーーー!!みたいなワンサイドゲーム風であっても雨風、照明、音楽、カメラワーク全てが彼の魅力を引き立てんと機能していくので充分に安心して観れる佳作であったと言え、前作が好きなファンなら迷わず劇場へ!と言いたくなる完成度を誇っていた。

しかし、腑に落ちないというか少し考えさせられる点も。それは頑ななまでに人を殺め倒していく彼の支えとは何か?という点である。

 

イコライザー、彼の人間性の核やいかに

ロバート・マッコール=イコライザー…自らの正義を掲げる処刑人としての芯になっているものは何なのか少し考えてみた。

個人的な判断で人の命を絶つということは、相手がどのような人物であっても許されることではない。それは(劇中の描写から言っても)主人公であるマッコールも間違いなく確信していることであり、彼はその時点で既に「悪」であるとも言える。フィクション媒体にはかねてより昔から存在する、非常にグレーな立ち位置のキャラクターである。

今回印象に残ったのは、ターゲットとなる人物らの“家族”の存在だ。実娘と引き離された父親、裕福な父親のクレジットカードで遊ぶ息子、そして本作のメイン悪役にも家族との生活、チームを組む仲間との友情があることがしっかり描かれていた。

登場人物は皆愛する人の存在があり、友があり、社会との繋がりを持って生きる人間であるという事実。そこが強調されるために本作では彼の冷徹さが際立つ。そして今回観客は、彼の殺傷の行為に躊躇しない不気味な程のクールさにやや怯えることになる。一体何が彼のメンタルをそこまで強固なものにしているのだろうか〜という疑問。

私は、そこに彼・イコライザー特有の教育の理念があると考えた。今回パンフレットは購入していませんが、とりま「俺にはこう見えた!」という雑感を元に文章を連ねていきます。

 

■闇からのスパルタ教育者

マッコールは言う。「誰かがやらなきやいけないことなんだ」と。

それは誰かを守るためなら暴力もやむを得ない〜程度のものではなく、完全なる世直し根性に支えられていたものだと今回で明らかになったことと思う。前作ラストで自身の生き方についての方向性を決断し、その思考に至ったのか否かは微妙に判断がつかないところだが、今回のマッコールに関しては完全にそうだ。

本作での彼の職業はタクシー運転手だが、これもなかなか思い切った設定だ。何せ夜の街をタクシーで行けば、自然とトラブルの香りも舞い込んでくるわけで。バイオレントな夜廻り先生としてのマッコール運転手の姿に不自然さはない(一般客の前で素顔を晒しながらボコスカやるのはかなり危険なのでは?と思うところではあるけど)。

人としての道を踏み外しながらも「こっちに来てはいけない、お前は踏みとどまるべきだ」と身を以て伝える姿勢。言い聞かせて分からない危険な奴にはこっ酷く思い知らせ、また罪の重さ次第で死をもって償わせる。

自分に課された役割がそうであると認識しているがために、マッコールの拳には躊躇がない。誰かがこちら側=社会のダークサイドへ迷い込まんとするのを止めるために、彼の銃弾が、ナイフが、ハンマーがあるのだとつくづく思い知らされる続編だった。それはまさに法的・人道的な“正しさ”を纏わずとも、懸命に迷い生きる人間を応援する教育者の姿だ。

基本的に、彼は乗客には親身に寄り添う。幸運な出来事があれば共に喜び、悲しい出来事が起こりそうな客には機転で対応する。健全な世の中のためには暴力も辞さない。そうあらんとする意思一つで、彼は世間と繋がれているのだろうという解釈。この結構危ういところで保たれているバランスが観る側に絶大な緊張を齎す。これこそが『イコライザー2』の醍醐味だったと思う。

 

■ただ、後半には躊躇の一つなく〜苛烈な殺し職人は健在…!

まあ、『イコライザー2』では自身の親友や親しい人を痛めつけた連中はかつての仲間だろうがもれなくこの手でぶち殺す!という、1で見せたような危うさ、沸点の低さにも輪がかかっていて(「一度しか殺せないのは残念だ」は名言)少し笑ってしまったがまあ、更正同情の余地なしと彼に見限られてしまえば辿る道は1つだということなのでしょう。

 

加えて、本作にはランボー(テッド・コッチェフ監督、1982年)より今まで継がれる退役軍人の悲劇みを感じるところがあってジーンときた。国家の武器として消費された個人の人生。国に帰ってからの報われない待遇。ラスト、特殊訓練を受けた仲間達を一人また一人と罠にかけていく様もランボーの孤軍奮闘オマージュっぽかったな。もっとそれ以前の作品からの引用かもしれないけど。

ラスト、かつての戦友だった男の瞳孔が拡張していく様を見届けて、その首筋を切り刻むマッコールの目には相変わらずハイライトが無かったが、もしかしたら新たなる自身のステップを何か見出していたのかもしれない。これからも潰えることの無い“敵”に対し、彼はどんな手で裁きを下していくのだろうか。

 

■端役に至るまで“いい顔”揃い

今回も前作同様、端役に至るまでいい顔が並んでいたように思った。特に絵の道(グラフィッティアートかな)を志す少年を演じたアシュトン・サンダース『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス監督、2017年)の時を彷彿とさせる繊細な演技で魅せててかなり印象が良かった。もしマッコールと妻の間に子供が居たらこれくらいの年齢だろうか〜そう思わせる年頃の、少年と青年の間くらいの純朴な男子。思春期独特の危うげさを背負って立つ彼の姿には物哀しさ、どことなく儚さがあり、表情一つで涙を誘えるような芸達者ぶりが今回も光った。

 

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ただ、ラスト周辺で見せられた劇中の彼が描いたとされる絵、レンガに描かれたグラフィティアートがあまりにハイクオリティで、ちょっとギャングスタかぶれしていた時の彼が言う「絵じゃ食っていけないんだよ!!!」との主張に「…いや、お前の素行の悪さが足引っ張ってただけなんじゃねーの??」という反論をかましたくなったり笑笑   

いや、案外アメリカという国ではアートの世界でも人種差別が邪魔をしたりするのかもな。ここは一美大生として勉強した方が良さそうだ。

 

(おしまい)